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●東京キッドブラザース NY公演について

 「大都会」や「大追跡」などのTVドラマをやりながら、東京キッドブラザースの舞台にも立ち続けていた恭兵さん。
「80年ごろ、東京キッドブラザースのNY公演はどうだったんですか?」という荒井さんの質問に、「一番評価していただいたのは音楽、次にダンス、次に装置がスゴイ、役者は一番最後でした(笑)」という恭兵さん。
  アメリカに対して負けたくないと必死に頑張っていた恭兵さん。英語半分・日本語半分の舞台だったけど、英語をベラベラ喋っていたら、お客さんがちゃんと聞いてくださってるのがホントに良く分かって、舞台と客席という関係はNYでやってようが山形でやってようがどこでやってようが同じだという単純なことに気がついた。それからはすごく肩の力が抜けてちゃんとお客さんとキャッチボールができるような感じがした。NYの人たちにも褒めていただいて、飲みにいってもキョウヘイ観たぞ!SHIRO観たぞ!良かったぞと声をかけていただけたこと、それがとっても嬉しかった。そして、「自分がやってきた、村川さんに教えてもらった芝居がNYでも十分通用するんだということが肌で感じた(笑)」という恭兵さん。「今はメジャー志向ですけど、恭兵さんは80年代で、(アメリカと日本は)同じだと、無理してアメリカ行かなくて、日本で十分戦えると悟られたんですね?」という荒井さんの言葉に、恭兵さんの「ものすごく後悔してます、ずっと向こうにいればもう少し・・・(笑)」という切り返しで、会場内に爆笑が起こった。

●恭兵さんの故郷、静岡について

恭兵さんも、荒井さんも、村川監督も野球好きで野球小僧だった、静岡は暖かくて、野球のキャンプ地になったりしてましたねという話から、恭兵さんの故郷静岡の話しになる。
  静岡の清水市(現静岡市)の草薙というところが日本の中でも一番気候がいいということで、恭兵さんの実家の隣に金物屋さんが引っ越してきた。引っ越してきて2年目くらいに恭兵さんの家が火事になってしまい、隣の金物屋さんも全焼してしまって、またすぐに引っ越していってしまった・・・と(会場爆笑)

●1986年『あぶない刑事』での再会について

「86年に『あぶない刑事』で恭兵さんと再会してどうでしたか?」と荒井さんが村川監督に質問をする。
「一回やって、お互いに作り続けていってますから、あまりハンディはなくて普通に仕事ができた。」「すごく楽しかったという思い出がずーっと残ってる」と監督。
「恭兵さんも、監督は変わらないままでしたか?」と荒井さんが恭兵さんに質問をする。
(あぶ刑事で再会するまでにいろいろ有名な監督さんと仕事をしたが)最初の出会いが村川監督だったので、(村川さんは)本当におだてるのが上手だし、役者をすごく自由にさせてくれて、その自由に動くことが大事だよということを最初に教えてくれた。恭兵さんにとっては、どんな監督さんとご一緒しても、そのことを忘れないで、気持ちよく、素直な気持ちで台詞をしゃべることが大事だということを忘れないでやってこれた。どんな監督さんも村川さんみたいに現場の空気・ニュアンスを大事にしてくれる監督さんばかりではなくて、逆に現場を支配する監督さんもいて、支配されるのが好きな役者さんもいるけれど・・・と。
そして、村川監督は、「映るのは俳優さんだから、俳優さんが気持ちよく芝居できる現場が大事だと思います」と。俳優さんが気持ちよく、納得して、手探りの中で「これだ!」と思ったその瞬間瞬間の積み重ね、それを壊すのはもったいないし、むしろ、それを延ばすほうが大事。
一方、恭兵さんは「でも気持ちよく、例えばあぶない刑事でも面白いことを、監督が面白い面白い!っていうから20くらいやると、いざ観てみると5個くらいしか映ってないんですよ。あとの15は?って言うとウン、ウンで終わっちゃうんですけど」と切り返し、会場爆笑。
「アドリブは大歓迎で採用されますよね、現場を押さえつけるような監督さんだったら、絶対取り入れたりしないでしょうね。」という荒井さんの言葉に、
「なるべくカットされないようなところでアドリブを使うようになりました」という恭兵さん。

●スクリーンで写真を観ながら

このあと、ステージ下手(客席から見て左)側にあるスクリーンでスライドを観ながらのトークになる。
  『最も危険な遊戯』の恭兵さんのシーンの1カットを観ながら、恭兵さんのアップで始まるのは、(恭兵さんのことが)好きな役者だったからという村川監督。スクリーンを見ながら「この頃は肌がきれいだったなあ(笑)」という恭兵さんに会場が爆笑。

●スクリーンで写真を観ながら『あぶない刑事』について

「柴田恭兵さんと舘ひろしさんが並んでやるということはものすごいライバル意識があってうまくいかないんじゃないかと思ったんですが、どうですか?」という荒井さんの質問に、村川監督が「両雄が出るとぶつけあいますよ、それがフィットするまでには多少時間がかかったのでは?」と恭兵さんへ質問を投げかける。そして、恭兵さんは、「いや…舘さんは…いい人ですよ(笑)」と、会場爆笑。荒井さんが「皆さん、口堅いので、ここだけでちょっと・・・」と恭兵さんに促すと、恭兵さんは「えー・・・・」と少し考えたあと・・・、
舘さんは寡黙なヒトなので、「長い台詞は俺(=舘さん)は言わない、長い台詞は柴田君にあげる」と言われた。でも、恭兵さんは、長い台詞を言う代わりに、舘さんにエプロンをしてくれないかと言った。舘さんはカッコいいけど、エプロンをしてもチャーミングだと思う・・・と舘さんを誉めて、エプロンをつけてもらった。
『あぶない刑事』を舘ひろしさんとやると最初に決まったときに、2人もカッコよくしてほしいということにしたけど、いつも舘さんがクールで、恭兵さんがお調子者だと見ているヒトも飽きてしまうので、時々パターンを変えてほしい、キザな台詞やカッコイイコトなんでもやりましょうと始まった。恭兵さんが逆立ちしても勝てない舘さんのカッコよさを生かしつつ、いじりつつ、それをまた監督がいじりながら、できあがった作品。
そして、「面白いもん勝ちという現場で、楽しい現場でしたね」という恭兵さん。
ベンガルさんや浅野さんとかも小道具を持ち寄ってという話になり、荒井さんが「浅野さんも、転んだときに、ぽんとスカートの中から見えるピンクの毛糸のパンツとか・・・」というと、恭兵さんが「そういうとこばっかり観てるんじゃないんですか?(笑)」と突っ込みを入れて会場が爆笑する。
村川監督が、リターンズの中でタカとユージが銃撃戦の中で拳銃を取り替えるのも、有り得ないけど、することによって意外性があっておもしろい、面白くアレンジすればいいんですと、「あぶ刑事精神」の話をする。

●『はみだし刑事情熱系』について

『はみ刑事』は半年やって、半年休んでという感じで、半年間休むといつも新鮮な気持ちでスタートを切れたので、いつも新鮮な気持ちでやれて恭兵さんにとってもあっという間だったという。
『はみ刑事』以外でも何度か恭兵さん共演し、村川監督の作品にもよく出演している風吹ジュンさんの話で、
「(監督は)女優さんにはすっごい優しいんですよ、現場で。」という恭兵さんに会場爆笑。
さらに、「それでお芝居がちょっと上手じゃない人が来ると監督が自分で立って、ちょっと山形弁で「こうやってやるんだよ〜」といいながら同じように見本を見せて下さって、とっっっても気持ち悪いんですよ」という恭兵さんに、会場大爆笑。
「監督はご自分で(演技指導を)やられるんですね。学生時代に演劇もやられていたということで、俺は負けてないぞという感じですか?」という荒井さんの質問。映像の中、フレームの中で芝居をするということ、(フレームから)はずれてもいるような状況で芝居をしなきゃいけないということ、舞台から来た人ややったことがない人は分からないから、分かる人と(芝居が)噛みあうように、(監督自身が)やってみせていると、村川監督はいう。「それに、山形弁は私は直りませんから、気持ち悪いですよね(笑)でも、山形弁は直りませんから。直そうともしませんから」という監督の言葉に会場から笑いと拍手が起こる。
『はみだし刑事情熱系 最終章』の最終回、東京キッドブラザースの後輩、三浦浩一さんとの共演について、「ゲストがとてもよかった。彼(=三浦さん)もすごい燃えていたし、ドラマ作りの中ではとてもよかった」という村川監督。

舞台をやっていた恭兵さんにとって、気持ちの入った台詞をなるべく1カットで僕は撮って欲しいっていう気持ちが思いが強い。監督はもちろん「ココは1カットだよ」と分かってるところや、大事な台詞になると長回しで、逆になかなかカットをかけないで「もういいだろ」って時でも長く回してくれたりしてくれる。
「……監督どうしてカットをかけないんですか?」という恭兵さんの質問に会場爆笑。
逆にものすごくカットが早い時もある。余韻を残してそこから芝居しようかなと思うと監督がカットとすぐカットかける時がある。だから、「監督に「3回廻って、それからカットをかけてね」と言ったことがあるんですよ。」という恭兵さん。「ほんと、それが一番いいんです、自分でも分かっているんですけど、3回廻ってワンっていうあの感じ」という村川監督に、「そしたら目の端っこで3回ホントにグルグル廻ってるんですよ(笑) 邪魔だろ、それって!」という恭兵さんに会場が爆笑。パンフレットに寄せられているコメントにも「監督はせっかち」と書いている方がいて、「監督はせっかちな部分があるんですか?」という荒井さんの質問に、「私はほんとに間違いなくせっかちだと思います(苦笑)ほとんどの俳優さんがそういいます(笑)3回廻ってカットというのは非常に大切なことだと思います」という監督。

●『スティング』吹替えについて

1980年に日本テレビ系で放映された映画『スティング』の日本語吹替え版で、恭兵さんはロバート・レッドフォードが演じた役の吹替えをしている。初めての吹替えで、ロバート・レッドフォードと同じ気持ちで台詞を言おうと思って、何度も何度も映画を観て勉強をした恭兵さん。でも、気持ちが入ると台詞が追いつかなくて、なかなかうまくいかなかった。そんなときに、プロの声優の方から「そんなに思い込みたっぷりでやらなくても大丈夫」と軽く言われたという。荒井さんが「恭兵さんのロバート・レッドフォードを見てみたいですね」という言葉に、「ロバートと呼んでください」という恭兵さんに会場爆笑。そして、「誕生日一緒なんです。ちなみに、清原選手も一緒です(笑)」と。
「監督は誰か(誕生日が同じ人)いますか?」と荒井さんが監督に質問を投げかけたけれど、「いやぁ・・・・・」と言葉に詰まる監督に会場が爆笑する。「監督は3月22日なんですよね。でも、3月23日と書かれている本もありますよね」という荒井さんの言葉に、「23日はおふくろが教えた誕生日」という監督。でも、役所の戸籍を取ったら22日と書いてあった。黒澤明さんと誕生日が同じだと思ったけど、戸籍を見たら22日だったのでがっかりした想い出があるという。

 

 

(Special Thanks:ようちゃん、あぶないおばさん、ゆき、Kana、その他恭兵ファンの皆様)

 

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