文化放送 1979年
月曜〜金曜 午後8時50分〜9時

 ありすさんのご好意により、1979年の恭兵さんのラジオ番組「柴田恭兵の翔べ青春!」をココに再現することができました(^^) ありすさん、ありがとうございました。


 番組のスタイルは基本的に月曜〜金曜の午後8時50分〜9時の10分番組で、東京では「文化放送」の扱いでした。 今もそうですが大きな番組のなかの1コ−ナ−的なものです。
  大体1週間ごとの大まかなテ−マがあって、主なものは「キッド黄金週間」(ゲスト出演の回・舞台内容の回・稽古の回・お正月新年会の回など) 「赤い嵐の回」(丁度オン・エアが始まったあたりです。) 「リスナ−のラブレタ−(ファンレタ−)の回」 などがありました。 この頃は舞台もあり、赤い嵐もありですごく忙しい頃だと思います。最初の頃は結構丁寧に録ってる感覚があったけど、少し立つと「これ、2週間分録り溜め?」っていう疑わ しい個所もあったりして・・・・・。

 ともあれ、第一回目のライブです。なお、「てにおは」のアヤシイとこや重複してる単語は原文のままです。

 

昭和54年10月1日月曜日・午後8時50分

〜〜〜〜〜 時刻は8時50分です(女性MC)

4歳で海が好きだった

オ−プニングBGM
誰でもいい誰かに話し掛けたくなるときがある
誰でもいい話さずにいられない一瞬がある
今日から始まる俺のラジオ

(女性MC 柴田恭兵の翔べ青春 タイトルコ− ル)

こんばんわ、恭兵です。
ものすごく緊張感。
この、今始まりつつある俺のラジオなんだけど、とりあえず自己紹介からいきたいと思います。
名前 柴田恭兵 生まれ 静岡県清水市草薙2083 ・駅前 魚新 職業 アクタ−。
え−っと俺、家魚屋でおやじが・・・・・・俺が4歳の時に、4歳の時に保育園にほっぽりこまれて
ほっぽりこまれたっていうか、店が魚屋で忙しくって・
・・うん・・・とても面倒見きれないので
3歳くらいからいってたんだけど、4歳の時に、おやじに魚河岸に連れていってくれたの。
オ−ト三輪っていうかホロのついた車に乗っかってあんまり舗装されてない清水の魚河岸にいったんだけど、 ついた時にまだ、清水の魚屋さんってあまり来てなくてさ。
でも、そのうちにだんだん活気っていうか大人たちの喧嘩みたいに今にもつかみ掛からんばかりに怒鳴りあってるのが始まって、そのうち・・・・海から太陽が出てきた時、俺感動しちゃったんだよね。
でも、海ってギラギラ光るしさ大人たちはこんな早くから起きてケンカしてるし、う〜んえも知れぬ感動っていうか。 俺ホントに4歳から海が好きになっちゃって、今でももちろん海が好きでついこないだもその−南太平洋のサモアっていう所に行ってきたんだけどそこがまた、同じつながってる海なのにウミ!ってかんじで-------海なんですよ。
その俺、もぐって初めてわかったんだけど、自分がもぐった時に心臓の音がドキドキ聞こえて他に一切物音がしない時に、俺確かに生きてるよって。 4歳からずっと生きてるな、28歳まで。
4歳からみた海と今いる海と、同じにもかかわらず生きてるって事、もぐった時にすごい実感したんだよね。サモアの原地人たちは俺みたいに「何かする」とか「何かしたい」とか「ぶつかりたい」とか「燃えたい」とか 一言もしゃべらないけど生きてるって。何もないからかもわからないけど、子供たちは子供たちでギラッギラッギラッと生きてるし大人たちは大人たちで芋掘ったり、魚取ったりして生きてるんだよね。
俺この番組通して、ラジオっていうものでテレビとも違うし、舞台とも違うし「俺生きてますよ」ってどれだけ伝わるか、俺のつばきみたいなものがもしかして、ラジオから飛び散るような、そんな番組、出来たらいいなって思います。

曲) 加山雄三「海・その愛」

俺、ほんとにしゃべりながら今、いきいきしてるし、君はラジオ聞きながら生き生きする人。
俺、しゃべりながら生き生きしてる人。
そういう感じだったら、そういう感じになれたら俺、ホントに嬉しい。

エンディング BGM

無事終えたみたいだから、俺、早く帰って波のレコ−ド聞いて寝ます。

(女性MC タイトルコ−ル 柴田恭兵の翔べ青 春。今日お送りした曲は「加山雄三、海・その愛」でした。)

Special Thanks ありすさん

 


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